学校にでも通おうかなと
2024.9.5 記
扉絵ページにも書きましたが、自分でもこの作品作りにもっと積極的にならなければと、学校でも通おうかな?みたいに思ってるんですが、基本的に本作品は、海という事で、ブルーのフィルターで写真類を処理して並べます。
基本の配置の考え方に、表示面を2次元的に捉えた場合、相対的に色が濃ければ(濃い青)、その写真は下に力がかかる、逆に色が薄ければ(薄い青)上に力がかかる、という決まり事があります。
なので、基本の処理から2枚の写真を並べて、別に、本作のモニター出力は映画館のようなモニターと決めているわけではなく、出力に関してはフレキシブルに設定します。ここでは、やりやすいのでプロジェクターのようなもので、左右に2枚出力を並べて、その研究、研究といったらあれだけれども、練習をしようかなと思っている。どちらかを青が薄く、一方を濃くします。相反する方向に動くことになるので、ここにどのような写真を持ってくるのか。まず、私は学校に入校したらこのテーマで基本を練習したいと思います。インドに用意があるのでインドの写真等学校を探している最中なんですよ。
*ただ、最近株でやらかしてネタをやる費用捻出が難しくなってきている。
まず、背徳性の強い写真を浮上げるか。背徳性の柔らかい写真を下げるか(濃い青)。通常は背徳性が強い方が下に沈みそうですが、あえて逆にしてみました。
こういう2枚構成の積み上げが、結局、全体の表現に行き着くわけです。当然、展示場の設計次第で、雰囲気はガラリと変わります。まあ、これは金がかかるね。可能ならば、児童(期)猥褻被害児童を(も)モデルに起用したい。勿論、ヌードではない。モデルというのはだね、この2枚の、たったこのテーマだけでも真剣に取り組んでもらわんと困る。本作は当然これだけではない。テキトーに「これで上りか?」みたいな感じだとサヨナラだ。何か映画の鬼監督風になってきましたけど、芸術作品を真剣に作るときは何でもそう。まして、これは展示に(実現すれば)金がかかるやつだからさ。諸君も鬼にならないとダメ。甘いことを考えないで、児童強姦の被害体験しか自身の人生で思いつかないのなら、それが圧倒的ならば、「背徳」をその観点から考えるとかさ。「それは考えたくない」と思うでしょうが、それが自身の人生体験で圧倒的で、かつ他のモデルは経験してないわけだからね。こういうのは誰にモデルを頼むのかで難しい。その場に居た学生が受けないかもしれんし。その場にたまたまいた人はあくまで練習・研究生だ。撮影モデルが誰でもいいなんてありえんよ。
今回のだけでも奥が深い感じがするでしょう?、これは私が力を入れているやつなんですよ。これでコケちゃうと(あんま良くないなと)、他も芋蔓式で道連れを食らう。
…
と、こんな感じで、学校に行ったら撮影風景を載せたり思っていますが、動画も拵えようか考えているんですけど、動画は英語のテロップを貼ろうと思ってるんだよね。私が喋ったりしないですよ。場合によってはあるのかな。
*PTSDなんで、あまり私は出てこないですよ。
動画は、日本でこれから撮るお遍路が終わると、ネタを『背徳の海』にシフトしようかな、と思っていて、他にもあるけど、英語のテロップなんだよね。インドブログもまた雑記ブログに戻って来ちゃった感じですけど、渡印をきっかけに、くっちゃべってる感じの雑記を減らして(無くして)、学問・芸術の比重を上げようと思っていてね。もう歳だし。
なので、本作はね、大きく言えば世界観を有しているので、仮に私が発狂しても(今したらまずいか。何も書いてないし)、スタッフで研究を続けられるんですよ。今日の単純な2枚だけど、終わりはない感じだよね。