対生成という現象についても

2024年02月05日

「対生成」という現象に関しても、虚数時空間からの生成を考えれば、回転、逆回転と慣性より、運動Eと位置Eを打ち消し合うように生成される(→ 対消滅はエネルギーへ)と理解出来るし、未知の素粒子など素粒子論の検討の際、必ず対生成されるので「反物質はあるはずだ」とあたりをつけられる。

 つまりややこしい話だが、生成過程を考察すると、一見同じに見える光粒子には二種類有り、回転側から実体化した光子と逆回転側から実体化した光子の二種類存在しているはずだが、性質上同じである。なぜならば、実体化後の限界時空に回転余地が無い。他の素粒子は、同じく無境界から実体化すると考えるので、限界時空を経て、さらにステージが上昇(そちらを上としたら)するが、その際、特有の回転方向(正逆)へ回転しようとするわけで、それが、対生成(逆円錐)として表現される、という理屈だ。

 このように考えると、ある素粒子が、反物質を持っていてかつ電気を持っていない、というのならば、時空間と内部の物質が未分の状態だが、時空の次元が分化しておりゆえに回転する訳であって、そのように考えると、ニュートリノの反物質が存在しており、電気を持たないというのならば、他の素粒子より小さいが光子ほどではない。素粒子の電気の発生原因となる時空との分化がある一定以上発生していない、などと考えることが出来る。

 故に、ニュートリノも対消滅を起こすだろうし、ニュートリノが反ニュートリノに変身することは無いだろう、ニュートリノと反ニュートリノは同一の粒子ではない、などとあたりをつけられる。

*ニュートリノを観察して特性を導けるという意味。又は対消滅を起こさないのならばニュートリノを決定づける理由がこうだ、という事。「ニュートリノも小さい、光子も小さい。他の素粒子はそれらより大きい。大きいと電気を持っている」「光子速い、ニュートリノ速い、電子遅い」ので、このように考えたのです。