教育学


 (2024.3.10)

 教育学の位置付けをまずは確認する。子弟を比較宗教学の門前へと導引する為の学問である。比較宗教学に至っては自ずから学究対象を取捨選択する所にあり、基本的に人から教え育てられる訳ではないゆえ、ここを明確に意識したい。

 具体的な内容としては、型(ここでは比較宗教で述べた段位の事)を踏まえて、孔老やルソー等の思想を再構築する。当然文武に則っており人倫の内に身を委ねる(人倫を意識する)。若年期からの修行を奨励し、もって有形無形の財を成し国家社会に寄与する人間を育成する。

 「再構築」とは、例えば、ルソーの「自然に帰れ」という言葉を、私の思想を鑑み教育に適している内容に捉え直す一連の作業の事である。

→  「自然に帰ろうとする」とは、三方の機能不全を解消せんとする事(人権学)。等


(以下 2024.6.27)

 「自然に帰る」…都市を捨てるので捨方、革命権を行使する。人権のツリーのルートの方向へと見直す。などと解釈する。

(以下 2024.6.30)

 上記だと人権学の話題であって教育学ではないのでは?と思うかもしれないが、冒頭に比較宗教とあり「自然に帰る」という事です。ルソーの人権論や教育論を議論する際ここが接続箇所となるので留意されるべき。木のルートに帰してみて、確かにルソーの自然状態だと、人権的な話し合いが通じる相手でなければ彼のユートピアは形成されない。”自然状態”という事になると場合によっては万人に、大体は弱者に対して闘争的な人間も当然存在する。憐れみの情も否定しないが人権の起因はそれに限らない。

 政治学に関しても、コンピューター、インターネットの発生からの人民近接性、集約性による直接民主主義の発生と実現可能性は今後も当然主たる話題となるべきだが、ここもルソーの直接民主主義を検討して、やはり自然方向に帰るほど間接的ではなく直接民主制になっていく。例えば、国家から過大な義務を負わされて自然に帰りたくても帰れない、という話にもなり権利侵害として扱う。

/ (2024.6.30 ここまで)


/

/

(日本時世を踏まえて)

 昨今は、インターネット全盛の時代なので、例えば、その手の成功情報により、株やFXで儲ければよい働きたくない、などと、若年者らも人生の意義を”ますます”見失いがちだ。日本の愚かな政府もポルノ風俗をやり尽くし結婚出産率の低下を憂いている。当然、男性側の視点からすれば、ポルノや水商売、性風俗と、そこで接する事が出来る女性が可愛らしければ尚の事、異性交友の代替手段として機能するので、結婚して家庭を持つのが面倒くさいとなり、又は経済格差の広がりによって金銭的事情から不可能となる。株で有名なアメリカのバフェット氏を例に見ても、儲けた金で単に遊んで寝ているわけではない。彼は巨額の財を成しアメリカ人なのでアメリカ、社会に貢献寄与した訳だが、極端な例なのでここまで儲けなくてよいし通常不可能だ。本学はただ国家社会に対して金銭的な貢献さえすればそれでよい、と申しているのではなく、貢献も金銭的なものに限らぬ(無形財)。

注)私個人としては、気持ち的には日本から脱退していますので、日本に貢献せよと言われても困ります。児童(期)性被害者らについても、日本に貢献というより、彼女達自身の人権に焦点を当てています。